現在勤める会社に入社して約20年。仕事はずっと技術畑のNさんです。ご家族は奥さまと中学3年生の長男、小学6年生の長女の4人。C型肝炎であることがわかったのは、働き盛りの38歳の時でした。2人のお子さんはまだ6歳と3歳、また、仕事も転勤続きの忙しい時期のことです。淡々とした語り口のNさんですが、お話を聞くと、平坦ではなかった完治への道がうかがえます。

病気に気付いたきっかけは、10年ほど前、ちょっと胃潰瘍ぎみになって、胃カメラを飲んだことからです。その時の血液検査で、C型肝炎ウイルスが陽性。驚きました。
実は6歳の時に心臓の手術をしているんです。重い症状があったわけではないんですが、「成長すると症状が出てくるおそれがあるから、小学校に入る前に手術しておいたほうがいい」ということで。その時に、輸血をしている。おそらくそれが原因だと思います。32年間、気付かなかったということですね。その間、スポーツは普通にやっていたし、お酒も普通に飲んでいました。思い返して「そういえば、身体、特に足がだるかったな」という程度です。定期健診の肝機能の数値はずっと高めだったのですが、それも気になるほどではなかったんですよ。
その頃は、C型肝炎という病気も今ほど知られていなくて、自分がそうだと言われても、どんな病気かよくわかっていませんでした。それで、出張の帰り、肝炎の本を買って新幹線の中で読んだんです。それまで軽い病気かと楽観視していたのですが、読んでみるとどうもそうではない。ああ、自分は割と重い病気にかかっているんだなと思った時のことをよく覚えています。
それからすぐにY市立病院へ行き、C型肝炎ウイルス陽性の結果が出たのが、1998年の2月か3月。ゴールデンウイークを利用して肝生検を行い、夏休みを利用してインターフェロン治療を受けることにしました。まだ、インターフェロンとリバビリンの併用療法が行われていなかった頃です。私のウイルス型は1bだったので、治る確率は10%くらいと言われましたが、できるだけ早いうちに治療した方が治りやすいと思ったのです。
治療は半年の予定でした。最初の1週間で、一度ウイルスは消えたのですが、1ヵ月くらいでまた出てきました。よく言われる“ひどい副作用”が全くなく、そのせいか、効いているという手ごたえを感じられないでいましたね。結局、ウイルスは減らないまま、半年の治療を終えました。
1回目の治療を終え、1年くらいは月1回真面目に検診に通っていましたが、そのうち仕事が忙しくなり、病院にも行かなくなりました。一度行く機会を逸すると、なんだか「もうええわ」って気になって(笑)。
毎日、12時ごろまで仕事していましたが、特に体調が悪化するということもなく、普通に過ごしていました。妻が心配して、民間療法を勧めてくれたので、1年くらい続けてみたりもしましたが、さほど効いたという実感もなく、それもいつの間にかやめてしまいました。今でも段ボールに残ってますよ。あれ、すごく高かったんですけどね(笑)。
そんな感じで1年くらい過ごしていたと思うんですが、たまたま妻が子どもをかかりつけの病院に連れて行った時、そこで肝炎の専門の先生が週1回外来を担当していらっしゃるということを知り、「行ってみたら?」と勧められたのがきっかけで、また病院に通うようになりました。それが、K先生との出会いです。
久しぶりに検査を受けましたが、数値にさほど変化はありませんでした。その時、K先生から「治験中の薬ですが、こういう治療法がありますよ」と、ペグインターフェロンとリバビリンの併用療法を紹介されたんです。専門の先生だけあって、最先端の治療をよくご存じだなという印象でした。また、たくさんの患者さんを治療されているという実績に対する信頼感もありました。「治りにくい1bの患者さんでも、50%が完治する」「3ヵ月目でウイルスが消えた人の78%が完治する」など、具体的な数字を示して説明してくださったのもよかった。私は技術屋なので、「だいたいこれくらい治る」などと言われるより、きちんとした数字で示される方が納得できるんですよ。それで、治療を受けることを決めました。
決めてからは、ウルソデオキシコール酸を服薬しながら、治療を始めるタイミングをずっとうかがっていたのですが、そろそろ始めようかなと思った2002年の2月、神奈川県に転勤になってしまいました。治療は断念、転勤中は紹介していただいた神奈川県の病院に通いました。2003年4月にY市へ戻り、再びK先生を受診したのですが、その年の12月に今度は中国の蘇州へ転勤になり、中国生活が1年半続きました。その間は、ウルソデオキシコール酸の服用を続けながら、3ヵ月に一度くらいある帰国の機会に受診し、検査を受けていました。前回の治療の時と違い、今度はとても真面目に通いましたよ(笑)。やはりK先生との出会いは大きかったでしょうね。同じ年代という親しみもありましたが、信頼できる専門の先生に出会えてよかったと思います。
中国からY市に戻ったのは、2005年の6月。これが最後のチャンスかもしれないと思い、すぐにペグインターフェロンとリバビリンの併用療法への挑戦を決意し、9月から1年間の予定で治療を始めました。K先生と出会ってから、もう4年くらい経っていましたね。
最初に2週間入院し、肝生検を行ったあとで、1本目の注射を打ちました。注射のあと、38度くらいの熱が出ましたが、あとは特別不快な症状もなく、退院しました。
通院での治療が始まると、副作用が次々と出てきました。まず、食欲不振。胃のむかつきは、治療が終わるまで続いていましたね。それから、髪の毛ががさっと抜けました。まあ、ちょうど薄くなってもいい年だったので、年のせいかなと思ってあまり気にはしなかったんですが(笑)。いつの間にか、抜け毛はおさまって、今は新しい髪が生えてきています。
一番閉口したのは、かゆみです。秋の終わりから冬になると、乾燥肌のようになって身体じゅうがかゆくなりました。今でも、掻いた跡が残ってますよ。事前に副作用の説明は受けていたのですが、かゆみについてはあまり認識がなく、最初はこれも年のせいかと思っていたんです。しかしあまりにかゆくて夜も眠れないので、K先生に相談すると「副作用でそうなる人もいますね」とおっしゃって、ああそうなのかと。皮膚科を紹介してもらい、ぬり薬や飲み薬をもらって、だいぶ症状は和らぎました。
注射をしたあとは、やはり37度くらいの熱が出ました。熱っぽい、だるい、かゆくて眠れない…しんどかったですけど、仕事は普通にしていました。誰にもわからないことですからね。
1ヵ月ごとに、ウイルス量を調べる検査がありました。1ヵ月目にはまだウイルスが残っていましたが、2ヵ月目には全部消えていました。嬉しかったですが、前回のインターフェロン治療の時、一度消えたのにまたウイルスが出てきたという経験をしているので、「また出てくるかもしれない」という感じがずっとあって、最後まで気は抜けませんでしたね。治療が終わって半年後の検査で「陰性」が出た時にやっと、一安心できました。
私は、6歳で心臓の手術をした時、麻酔を打つ前に「これでもしかしたら生き返れないかもしれないな」と思ったことを、すごくよく覚えているんですよ。当時は心臓外科の技術も今ほど進んでいなくて、同じ手術を受けた子の中には亡くなった子もいましたから。あの時に得た人生観が私のベースになっていて、死ぬのは怖くないという感覚がある。だから、病気であることを知ったあと、ことさら恐怖感や不安感を持ったり、ストレスを感じたりすることはありませんでした。でも、治る可能性があるのなら、それには挑戦しようと思っていたんです。
30年以上、ずっと身体が“なんとなくだるい”生活をしてきたわけですから、今の状態はこれまでとは全く違います。新しい治療を思い切ってやってよかったと思いますよ。今、C型肝炎で悩んでいる人や、新しい治療への挑戦を迷っている人には、ぜひやってみなさいと勧めたいです。だって、治る可能性があるんですからね。
思い切りやタイミングを考えることは必要ですよ。仕事の都合、家庭の都合などを考えていてはなかなかできません。それから、病院の場所というのは、大切な要素かもしれません。私の場合、会社の近くの、就業時間後に治療に立ち寄れる病院だったのが幸いしました。私の仕事は朝は早いのですが、夕方は17時前に終わるんです。ですから、週1回の注射も、仕事が終わってから打ちに行けた。もちろん、病院からもう一度職場に戻って仕事をしたこともありましたが、治療のために会社を休むということは一度もありませんでした。1週間に1回休むと、かなり目立ちますからね…。休まなくてすんだのはよかったですよ。治療を受けることは必要な範囲内で会社にも伝えてありましたが、知らない人には全くわからなかったと思います。つきあいのお酒を飲まなかったことくらいですね、普段と変わったことは。
完治しても、プライベートで酒を飲むことは控えていますが、つきあいの酒は解禁になりました。治ったら心を入れ換えて、人生真面目にやり直そうかなと思っていたけど…そっちの方はあんまり変わらないですね(笑)。


